N響アワー雜感(2009年03月27日)

(旧ブログ「ザ・クラシック評論」2009年03月27日より)

 前囘、御茶を濁したついでに、今日は、先日、N響アワーを見てゐての感想を書いておく。池邊晉一郎氏が、番組司會を降りられるといふのを新聞で眼にしたので、久しぶりに見たのである。池邊氏の司會は、平俗なやうで、率直で鋭い批評眼の裏打があり、人柄の氣持ちよさも無類で、機會を見附けては見るのを樂しみにしてゐた。勇退は殘念だが、後任が西村朗氏といふ事になれば、これはこれで期待は大きい。昨年、西村氏の、インド音樂を素材にした作品を纏めて聽くフォーラムに出た事があるが、その音響感覺は見事なもので、私は、音とリズムとのめくるめく黄金色の奔流を、殆ど快を貪るやうに樂しんだ。日本を代表する作曲家との世評に狂ひはないと思つたものだつた。インド音樂など、素材に逃げてゐる狡さと言へなくもないし、今の氏の道が西洋音樂の超克になるとは、私には思へないが、しかし、瓢箪から駒が出れば、それはそれでいゝ、さういふ處まで、クラシックの作曲が追ひ込まれてゐるのも事實だらう。氏が、どのくらゐ、さうした現在の氏獨自の音樂觀に踏込んだ話を交へて、番組の司會をされるかどうか、私は期待を持つて行方を見守りたい。民放は云はずもがな、教育テレビに出て來る「文化人」の質さへも、ジャンルを問はず首をかしげたくなるやうな例が餘りにも多い中、ジャーナリスムの有名人ではなく、眞に優れた作曲家の登用は、最近の快事である。

 もう一つの喜びは、秋からのN響が、多分音樂監督不在のまゝ、首席客演指揮者としてアンドレ・プレヴィン氏を迎へるといふ話題である。これが何故喜びかと言へば、恰度、この日に放映されたラフマニノフの交響曲2番の「音」が、日頃のN響の音と、テレビからでさへ、歴然と違つて聽こえたからである。收録ホールがサントリーホールだつたといふ事は、大して關係がないだらう。N響の大半の演奏で使はれてゐるNHKホールの音響には問題があるが、いゝ指揮者ならば鳴らせるホールだと思ふし、舞臺上のマイクで音を拾つてゐるのだから、本質的に指揮者が出せてゐる音に關しては、問題なくテレビで分る筈である。最近放送されたNHKホール以外のコンサートで云へば、ドゥダメルの來日公演が東京藝術劇場、ムーティ指揮ウィーンフィルがサントリーホールだが、ホールの差よりも演奏そのものゝ差、鳴つてゐる音の差は、はつきり分つた。かつての例で言へば、人見記念講堂のクライバーのベートーヴェンやNHKホールのベームでも、鳴つてゐた音そのものがどの程度かは、テレビでも分つたものである。

 さうした記憶と對照するまでもなく、プレヴィン指揮のN響の音は、世界一流のオーケストラのそれと斷じていゝものだつた。これだけ洒脱にきらびやかでゐながら、音樂的に密度の濃い演奏を、樂々繰り廣げてゐるN響を聽くのは、少くとも私は始めてである。プレヴィンの生は聽いてゐないが、間違ひなく氏の指揮者としての能力と、オケを心服させる力が原因であらう。

 プレヴィンは、勿論、世界第一級の音樂家だが、音樂の眞を穿つしつこい音樂の好きな私には、何枚かの評判のいゝレコードで聽いて、少しお洒落過ぎると思つてきた。しかし、オーケストラから、まづ何はともあれ、これだけの音を引出せると言ふ事、これこそが、指揮者の才能の最も重要な指標だらう。そして、N響は、このクラスの指揮者の手になれば、これだけ易々と世界一流のヴィルトォーゾオケに變貌してしまふ、これは嬉しい發見であつた。
日本のオーケストラは、ギャランティーの問題があるにせよ、何としても、この水準の指揮者を音樂監督に迎へるといふ點に、運營上最大の目標を置くべきだらう。プレヴィン氏は高齡だが、何とか數年、氏の指導の下で、N響が國際的な名聲を上げるといふ達成目標を、關係者各位ははつきりと持たれるべきだと、私は痛論したい。

 N響の歴代音樂監督を見ると、どうも、いつも一流半を呼んで、それで仕方がないとはなから思ひ込んでゐる節がある。だが、藝術の世界では、一流と一流半とは、高尾山と富士山くらゐの違ひがある。川端康成と高見順、司馬遼と柴練、バレンボイムとアシュケナージ等々。一流半はなるほど、無數の二流以下とは歴然と違ふ。たゞものではない。實は、私は高見の小説はとても好きである。アシュケナージは優れたピアニストだつたし、指揮者としても日本で指揮棒を取る大抵の指揮者よりも力は上だらう。だが、どうせならば、二流でない人を呼ぶのではなく、はつきり一流を呼べばいゝではないか。それが、この度のプレヴィン氏の起用をきつかけに、まづはN響のはつきりとした基準になる事を強く希望したい。

 そして、その餘勢を驅つて、次期音樂監督に、例へば、私の熱愛するティーレマン氏の招聘にN響が成功などしたとしたら! 氏は、世界で最も仕事量の少ない指揮者と言はれてゐるではないか。或いは、昨年末に旋風を起したドゥダメルはどうであらう。だが、讀者の多くは、さうした事態が生じるとは、はなから考へられないと思はるのではないか。さう、問題はまづそこにある。私自身も含め、日本最高の技術水準にあるN響の音樂監督に、ティーレマンやバレンボイムを始めとする第1級の人材が招聘される事があり得ないと、何故我々日本人は思つてしまふのか。

 なるほど、このクラスの指揮者になれば、ギャランティーの要求も桁違ひかもしれないが、不可能だと決めつけるのは日本の經濟力と文化力から考へれば、平仄に合はない話ではないか。看板に僞りが出て來てゐるとは言へ、日本が依然、世界を代表する經濟大國である事に變りはない。何故、東京にたつた1つでも、國際級のオケがない事が當然なのか、何故、世界第一級の音樂監督を招聘できない事が當り前なのか。要するに、我々の内心での自己評價が低過ぎるといふだけではないのか。團員、運營者、聽衆が一體となつて、N響を國際的なオケに、といふ評價値を目標としつゝ、第一級のマエストロを音樂監督に起用してゆく運動を盛上げることは出來ないものであらうか。

 夢は先走るが、プレヴィン氏の起用がその第一歩となればいゝと強く期待してゐる。(この項了)