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バレンボイムの偉大な指揮/アイーダの爲の《アイーダ》(2009年09月15日)

(旧ブログ「ザ・クラシック評論」2009年09月15日より)

ミラノ・スカラ座來日公演(平成21年9月11日於NHKホール)/ヴェルディ作曲:歌劇《アイーダ》/演出:フランコ・ゼフィレッリ/アイーダ:ヴィオレッタ・ウルマーナ/ラダメス:スチュアート・ミール/アムネリス:アンナ・スミルノヴァ/アモナスロ:ホアン・ポンス/ミラノ・スカラ座管弦樂團、合唱團、バレエ團、東京バレエ學校

 興趣盡きぬ《アイーダ》だつた。バレンボイムのイタリアオペラは初めて聽くが、類例のない演奏、著しく内面的な劇を浮彫りにした精妙な演奏である。凱旋行進やスター歌手が主役でなく、劇中人物のアイーダが本當に主役を張つてゐる《アイーダ》を聽くのは、少くとも、私には初めての事だ。それでゐて、全體から迫る音樂的な印象は、頗る雄大、バレンボイムは、今、オペラ指揮者として、歴史上でも有數の大指揮者として成熟しつゝあるのではあるまいか。

 1幕の「いざナイルの岸に馳せ行き」を、熱狂に驅り立てず、控へ目な音量で、2幕の凱旋も、煽りとは無縁の、しかし壯大で、ゆとりと厚みのある表現に置換へられてゐる。バレンボイムが、アイーダ、ラダメス、アムネリス3人の内的な葛藤、とりわけあらゆる悲運にも動搖せずに貫かれるアイーダの愛の力を、ドラマの主導動機と見て、音樂を通じて、徹底してそれを追求してゐるのは、明らかだ。普通「賣り」となる前半2幕を、前座と位置付け、4幕に音樂的な重量の全てを賭けてゐる。愛の二重唱と祈りとで全曲がをはつた時、文字通り、巨大な圓環が閉ぢたやうであつた。

 なるほど、考へてみれば、この音樂は、纖細で内向的な前奏曲に始まり、深い愛の合一、精妙の限りを盡くしたエスプレッシーヴォ=ピアニッシモで終はる。中間の結構が壯大であればある程、それは、空しい夢に過ぎない。胡蝶が夢なのか、今の自分の現實の方が夢なのか。バレンボイムは、アイーダと運命との眞の相剋が生む作品本來の巨きさを、いはば、初めて發見したのだ。

 最終幕ばかりでなく、バレンボイムの指揮では、そここゝに思ひ掛けず《トリスタン》の影が、しばしば射す。………(この項續く)

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