ダニエル・バレンボイム指揮/シカゴ交響樂團/バーンスタイン “シンフォニック・ダンス”他 (1)(2009年10月09日)

(旧ブログ「ザ・クラシック評論」2009年10月09日より)

ガーシュイン“キューバ序曲” /バーンスタイン ウェストサイドストーリーより“シンフォニック・ダンス”(1997年)/ラヴェル“ダフニスとクロエ”第2組曲(1991年)/ヴァグナー“トリスタンとイゾルデ”前奏曲と愛の死(1993年)(WARNER MUSIC JAPAN /WPCS-12352 )

 帶には、「巨匠バレンボイム待望の新譜」とあつて、實際、選曲が樂しいレコードではあるが、收録はいづれもかなり昔のものだ。

 “キューバ序曲”は初めて聽くが、それ以外の曲は、全て、愛を主題にしてゐるから、それなりの一貫性はあり、實際、質の高いポップスコンサートレコードになり得てゐる。

 興味の中心は、當然バレンボイムの振るシンフォニック・ダンスや如何に、にあるが、これは名演だ。いゝ曲だとは思ふが、日頃、進んで聽く事はない。この度は、少し身を入れて聽いてみたが、構への大きく深みのある演奏である。
なるほど、バーンスタインの狙つた效果とは異質で、大袈裟に云へば、時にヴァグナー風に響く、さうでなくとも、バレンボイム獨特の粘着質で大きな孤を描くフレーズと重たい音色は、機敏なジャズのリズム感とは當然異なる。手許にあつたバーンスタイン&ロスフィルの自作自演レコードを試しに聽いてみたが、やはり感覺が全く異なり、別の曲に聞える。バーンスタインは、ミュージカルの名ナンバーの繼續曲としてとらへて、場面毎の感興や刺激に沒頭する。バレンボイムは、全體を、交響詩のやうな雄大な孤線でとらへてゐる。

 プロローグから、何とも格調が高い。スウィングするバーンスタインとは對照的に、樂器は深く鳴らし切り、フレージングは息が長い。リズムの踏み締めも剛直だ。アルゼンチンの血よりも、ドイツ音樂の血液の方が濃いといふ事なのだらうか。太い線、樂器のブレンドの豐富、2曲目のアダージョは、後期ロマン派風にきらびやかに歌はれる。一方、スケルツォからマンボに掛けての熱狂は、圖體のでかい大音樂に變貌する。昨年暮、デュダメルのライヴでの、奏者が舞臺中を練り歩きながら身體で輕快なリズムを表現してゐたのに較べると、まるでベートーヴェンのスケルツォのやうだが、これが、私にはとても樂しかつた。樂壇員の掛聲さへ粘つてゐる。重厚だが、澁いユーモアがある。音樂としてのつかみが間違つてゐないから、違和感がかへつて魅力になる。かういふリズムは、本物の音樂家にしか出せないものだ。ユーディ・メニューヒンがステファン・グラッペリと入れたジャズナンバーを思ひ出した。グラッペリの心地よい歌ひ崩しの後に、メニューヒンが楷書であの氣品溢れた合の手を入れてくる樂しさ! このバレンボイムのウエストサイドも、あれに似た、本物の音樂家による、楷書の愉悦が溢れてゐる。

 後半も我知らず夢中になる程面白い。とりわけフィナーレ前、まるでトリスタンの3幕を思はせるやうな玄妙なフルートに乘つて、打ち顫へるヴィブラートのフィナーレが始まると、嚴かな空氣が張り詰める。何と入念で心に染みわたるフレージングだらう。フルトヴェングラー指揮するブルックナーのアダージョのやうな、ウェストサイド。深遠な幕切れ。(この項續く)