『蝸牛庵訪問記』小林 勇著(講談社文芸文庫)

 蝸牛庵は言ふまでもなく、幸田露伴が自邸につけた洒落である。

 「蝸牛庵と言ふのはね、あれは家がないということさ。身一つで何処へでも行つてしまふといふわけさ。昔も蝸牛庵、今もますます蝸牛庵だ。」

 小林勇は、岩波茂雄の娘婿で、岩波書店の大番頭から、敗戦直後岩波の急死の後――文藝春秋の菊池寛もほぼ同時期に急逝してゐる――事実上の社長を務めた男だが、文章と書画もよくした。駆け出しの頃から出入りした露伴には可愛がられ、戦中戦後の老露伴の面倒も見た。あくが強く、毀誉褒貶耐へない人だが、露伴への小林の忠誠や愛情に疑ひはない。本書には、露伴宅に出入りし始めた昭和の二年から二十二年の死までが、間歇的に描かれてゐる。

 文学を通じて人格の骨髄までが鍛へあげられた老巨匠の言行録といふ意味では、エッカーマンによる『ゲーテとの対話』が連想されるし、それは必ずしも突飛な飛躍ではない。

 露伴は近代文学輸入の大きな波の中で、その大才を充分活かしきれなかつた人だが、それでさへ殆ど並ぶ者のゐない文学の巨人である。晩年の『連環記』『雪叩き』の線を、仕事の軸として壮年期に選んでゐれば、歴史文學の仕事だけでも、その後のあらゆる作家を凌駕する巨星となつてゐたらう。現実の露伴の生涯は、若い頃の文語による鮮烈な短編小説の創作に始まり、近代小説への再三の挑戦と挫折、考証文學や講談風の史伝、そして晩年の歴史小説と芭蕉七部集評釈へと枝分かれし、豊か過ぎる天分が、生涯軸足を決めきれずに迷ひ抜いた観は否めない。が、それにしてさへ大きい。紅葉は元より、鴎外、漱石より大きい。その大きい人の晩年の言行録であるから、面白くない筈はない。

 が、通読してふと思ふ、この本のこんなにふんだんな面白さの性質は何によるのだらう、と。

 『ゲーテとの対話』の豊饒の中心が、つぶさに記されたゲーテの言葉にあるのは疑ひない。それは、やや大袈裟に言ふと、大抵のゲーテ自身の著作より面白いのであつて、実作では隠されてゐるこの人物の辛辣なまでの自由が言葉にとてつもない翼を与へてゐる。エッカーマンはゲーテの「言葉」の膨大な貯水蔵となり、何と丹念に、又、正確に、その瑞々しい叡智の煌めきを記録してくれてゐた事だらう。

 が、『蝸牛庵訪問記』に記された露伴の「言葉」は大して多くはない。

 何しろ、文学者ゲーテを崇拝し、その作品を隅々まで愛読し尽くしてゐたエッカーマンと違ひ、小林は露伴のいい読者ではない。岩波書店の人間だが、小林は『雪叩き』以下『芭蕉七分集評釈』に至る晩年の傑作の編集を担当した訳でもなく、又、他の人間が作つたそれらの仕事については本書で殆ど記録してゐない。彼が露伴から取つた主な原稿は、嫌がる露伴に無理やり書かせた『渋沢栄一伝』だけである。出版人といふよりも事業家だつた。

 その上、露伴は博学過ぎて、話の興が乗ると、支那や日本の故事文學がとめどもなく引用される事になる。小林勇ならずとも、斎藤茂吉や小泉信三でさへ、全くついてゆけなかつたと書いてゐる。彼らが付いてゆけなければ、同時代の殆どの人間についてゆけたはずもない。小林はそれを無理をして書き留めるやうな男ではない。なまじつか記録しようとしても無理だから、さういふ記録はとらないと断つてゐる。

 それでも本書は面白い。

 文豪露伴に慎ましく伺候する文学青年ではなく、事業家肌の豪快で無遠慮な若造が、晩年の露伴の家に気軽に上がり込んで、爺さん相手に丁々発止とやりとりをするといふ塩梅の書き様が、かへつてよかつた。

 露伴が、この青年を気に入つたのは分る気がする。露伴は早くに息子を失つてゐる。その嘆きは、死後二十年以上を経た本書の記述にさへしばしば小さな波紋のやうに表れる。

 露伴にとつて、小林は死んだ一郎の代りだつたのではあるまいか。

 さすがに図々しい小林もさういふ書き方はしてゐないが、小林自身、どこかさういふ気味合ひを自覚してゐた節はある。息子を失ひ、娘――いふまでもなく幸田文である――の結婚生活ははかばかしくなく、悪妻として有名な後妻の八代に悩まされる老露伴の暮しの中で、小林の演じた役回りは、頼りになる息子の代りだつた、さういふ気配が、この言行録を親身な、肩肘張らない豊かなものにしてゐるのである。

 露伴は家族に対するやうに、彼を叱り、彼に甘え、彼に弱さを見せる。それでゐて、人間露伴の規格の大きさが薫る。小林勇が文学者露伴を描かうとしたらかへつてかうはゆかなかつた。筆は硬直し、嘘が入り、力みが入り、露伴の風貌が見えるやうな本にはならなかつたらう。そもそも露伴は近代的な意味での文学者や作家などではない、老荘的な風格の文人なのだから。

 印象に残るエピソードを一つ。和辻哲郎が九鬼周造を、露伴に引き合わせた事があつたさうである。和辻が九鬼のことを「いきの研究をしてをります」と紹介したところ、露伴は「易の研究」と聞き違へた。そして、「研究してをられるのは周易か帰蔵易か」と聞いたので逆に九鬼が面食らつたといふ話である。後で露伴は小林に「いきの研究とは驚いたよ」と言つたさうである。

 『蝸牛庵訪問記』は小林勇による『露伴に於けるいきの構造』でもあるだらう。「いき」を江戸の遊びに限定してしまへばさうは言へまいが、それでも露伴晩景は如何にも老荘で練られた江戸の隠居の、高級ないきと言つて言へない事もない。

 それだけに、病勢が進む中で大東亜戦争に罹災した悲惨な最後の二年が哀切で、気の毒で、私はならない。

 武見太郎が脈を取り露伴の臨終を文に告げる。

 「文子さんが静かな声で「お父さん、お静まりなさいませ」といつた。」といふ末尾を読み終へ、私は全身が荘厳な静けさで包み込まれるやうに思つた。