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初めに

 最近の日本人は全く子供だらけになつた。馬鹿馬鹿しくて付き合ひきれない。馬鹿馬鹿しい人生は嫌なので、私はこれから「大人」を沢山作る仕事をしたい。良書の読書人口を増やす事、読書を一つの時代思潮とする事がそれだ。

 精神の「大人」になる最も堅実な手段は、様々な多様な良書を読む事だ。第一に、良書を読めば、歴史上最も優れた人物たちと直接言葉を交はす事ができる。

 第二に、数少ない著者や国ではなく、多様な書物を読めば、世界史上で人間がどれ程多様な考へ方をし、一方でどれ程単一な真理や美が示唆されてゐるかが分る。

 第三に、優れた書物には言葉の力がある。言葉の力とは修文の力ではなく、その言葉を生みだした文化圏の力量であり、その文化圏の最高峰を凝縮した書き手の天才の力である。

 かうした良書を読む習慣がなくとも、数十年前までは、人間が「一人前」――「大人」を昔はかう言つたものだ――になるのはそんなに難しい事ではなかつた。様々な中間共同体――地域、親族、職場など――が人間が「一人前」になる通過儀礼を用意してくれてゐたからだ。ところが、進歩主義、人権主義、共産主義は、かういふ中間共同体を憎悪する。西洋近代においても、我が日本近代においても、進歩を奉じるインテリがオピニオンと政策を通じて多年に渡つて共同体をぶち壊し続けた。西洋には信仰といふ核と強い個人が共同体破壊の防波堤になつが、共同体以外に人が大人になる確かな場のなかつた日本では、結果は惨憺たるものとなつた。人が大人になる最も確実なよすがを日本社会はたつた数十年ですつかり失つたのである。

 残されたのは良書を読む事だつたが、これ又、愚民イデオロギーと商業主義とテレビ、ネットの蔓延で、日本人といふ珍しい程読書好きの民族の千年続いた習慣を棄ててしまつた。

 かうして目も当てられない子供の国ができあがつたのである。それがよりによつて超高齢化社会だといふのだから笑はせる。

 理屈はもういいだらう、読んでからの話だ。読んでもゐないが、偉さうな口だけはきく――簡単に言へばさういふたちの人間を日本では古来「子供」と呼んで軽蔑してきたものだ。

 といふわけで、早速シェイクスピアの纏め読みを御勧めするところから「大人」の道へ。読書100選の始まり。

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