ザルツブルク日記#1 2017年4月11日


一昨日からザルツブルクに来てゐる。


復活祭音楽祭が今年50周年を迎へ、重要なコンサートが目白押しの為だ。

1月のニューヨークでのブルックナーチクルスに続き今度はオーストリアに10日程滞在することになる。海外旅行好きな人ならいいが、私のは純然たる音楽旅行で、海外に楽しみや気の休まりを覚えないたちだからか、何とも名状しがたく気重である。変な話で、それなら来なければいいわけだ。さうは言つても、数年前まで海外に出てこんな気持ちになつた事はない。


どうやら、かういふ事らしい――今や、私にとつて、海外渡航は、日本での多忙から解放された時に、裸の私の心の重さ、暗さに面と向かふ事になる、ニューヨークでも今回のザルツブルクでも同じ事が生じてゐる、と。戻る場所としての日本の不在がかへつてこちらにゐて感じられる。私にとつて日本は戻りたい国では最早ない、しかし他に居場所もない。さういふ孤立を海外での時間が際立たせ、私を底知れぬ憂鬱に追ひ込むらしい。勿論、それは私の創造にとつて悪い事ではない。真の友を見出すのは、それが古典であれ、現存の人との縁であれ――さうした懊悩の中でしかないのだから。この時代に生れ、自ら死を選ばぬ以上、私は今の日本に堪える他はない。文学者としての仕事、思想の仕事を深め直す矢先のこの度重なる海外での孤立感は大切にしておきたい。


が、さう言つて自らを慰めやうのない事もある。今回は、アメリカのシリア攻撃直後の出発となり、朝鮮半島情勢が急激に悪化しての国の憂えだ。夜寝ると夢に出てくるのは北朝鮮の事ばかりで、一晩中、寝ながら北朝鮮問題にへとへとになつて目覚める始末である。何でザルツブルクにゐなければならないのか、失笑に値する。
街は美しい。穏やかな春日に満ち、鳥の声と新緑に花の紅白をこき交ぜた街は輝いて我々を迎へてくれ、東京での荒廃した生活から解放された喜びがあつたのは事実である。


ミラベル庭園がホテルのすぐ先で、ここは街中でも特に美しい。その先すぐにカラヤンの生家の前を、ザルツブルクを貫くザルツァッハ川が流れてゐる。緑の川面に広々と解放されたやうな山々が残雪を輝かせながら遠望され、ホーエンザルツブルク城塞が眼前に聳へてゐる。


さて、肝心のコンサートの方。初日は、ティーレマン指揮ウィーンフィルの《第9》だつたが期待した出来には程遠い。数年前ベートーヴェンチクルス最終日のサントリーホールでの奇跡の大演奏とは比較にならない(尤もあの時も第9以外は大した出来ではなかつた、ウィーンフィルの仕事は大抵いつも名声に較べ感心できた試しがない)。ティーレマンはフルトヴェングラー以後最高の第9指揮者だと思ふが、美味くゆかない時はかういふものだらうか。


彼の遅いテンポで音楽を真に満たすには限界に挑戦するオケと指揮者のギリギリの格闘が必要だが、全体にさうした音楽的な準備が足りてゐない。オケの鳴りもアンサンブルもよくない。遅い中で気魄と緊張に音楽が凝集するより、足を引きずりながら進んでゆくやうな鈍重な演奏だ。春のザルツブルク音楽祭は50年前カラヤンが創設し、オペラを演奏しないベルリンフィルでのオペラ上演が目玉だつた。その意味でウィーンフィルの登場は例外であるのだし、50年記念年の第九の不発は残念だ。


楽友協会合唱団の合唱はなかなか立派だつたが、ベテランを揃へた独唱陣は残念ながらバラバラ。今や第一人者のソプラノ、アニヤ・ハルテロスは声が上ずり、指揮より前のめりにテンポが走つてしまふ歌唱で驚いたが、最前列に座つてゐた家内によると足が震へる程緊張してゐたといふ。第9はレパートリーでなかつたのだらうか。音楽祭50周年でティーレマンとの共演はそれ程緊張するものなのか。初日のジークリンデは素晴らしかつたといふ。第9のソプラノは過酷で、シュヴァルツコプフもいつも今回でもう最後にしたいと思ふ程緊張したと述懐してゐた事を思ひ出す。


ハルテロスのみならず、重唱は全体にバラバラで全く溶け合ひがない。皆超一流の歌手なのだから、一人一人の声は文句なく立派だが、第九の重唱としては私の聴体験の中では、不合格だ。


リハーサルが殆どなかつたのだらうか。


今日のみ5時開演。7時前にホールを出るとまだ黄昏の明るさが続いてゐる。街を散策しながら、オープンテラスで晩飯。アスパラガスのスープとチキンサラダ。家内と二人で一人前づつだが、充分鱈腹だ。味もサービスも黄昏ゆく街の微光を見ながらのひと時も素晴らしい。が、旅程後半家内が先に帰国した後、一人でこれを平らげるのは厳しいなあ。

クリスティアン・ティーレマン 指揮
アニヤ・ハルテロス ソプラノ
クリスタ・マイヤー アルト
ペーター・ザイフェルト テノール
ゲオルク・ツェッペンフェルト バス
ウィーン楽友協会合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団