ザルツブルク日記#6 2017年4月17日

早朝から新刊の準備読書で疲れた。朝日新聞、人民日報、新華社、中央日報、朝鮮日報などの社説の纏め読み(笑)

昨晩のコンサートは「ティーレマン―怒りのブルックナー」といふ所か。
とにかく聴衆のノイズがひどい。バレンボイムのカーネギーのブルックナーも大変ひどく、第7交響曲開始前にバレンボイムから会場に注意があつたが、ブルックナーの故国、モーツァルトの故郷での音楽祭でもこんなにうるさいかと、白人上流階級――イースター音楽祭はさうした人達の社交場でもある――のマナーの悪さにほとほと呆れた。

1楽章の展開部冒頭―スコアも参考書もないので話は大雑把になるが―弱音で第1主題が数分に渡り様々に変奏されるが、この間、咳やざはつきがひつきりなし。Carnegieよりひどいかもしれない。演奏も集中力に欠けた。何しろ、ティーレマンのブルックナーが[奇跡]になるのは、弱音部分においてここぞとばかり途方もない集中力で音楽に没入し、彼自身を霊媒と化する事にかかつてゐるのだから、その弱音部でこんなにうるさくては音楽は魔法の領分に入りやうがない。

2楽章、3楽章と、正直なところ、ティーレマンのブルックナーとしては今一つだつたが、さて4楽章冒頭。タクトが振り下ろされる瞬間にここぞとばかり会場から大きな咳だ。ティーレマンは咳の方向に向き直り一睨み、苛立ちを隠さず、会場に退場カードのやうな紙を振りかざした。これでとにかく会場はだいぶ静かになり、演奏も陰影の濃い彼らしいものになつたのだから咳が怪我の功名になつた訳である。

ところがもう一度ハプニングが起きる。音楽が丁度後半に入る頃、展開部後半の総休止の辺り、前方座席で気分の悪くなつた老婦人が会場を出るのだが、これがなかなか容易ではないのだ。古い会場で座席間に隙間がなく、一人が途中退席するには同列の皆が一度一緒に出なければ通れない。弱音部分でぞろぞろ7,8人が移動するのだから、一寸やそつとのノイズではない。冗談のやうな話である。又もやティーレマンが横睨みに。丁度そこが総休止だつたので、指揮棒は止まつたまま、全員が座席に戻つて静かになるまで10秒以上音楽は止まつたままといふ、かつて聴いたことのない長大なルフトパウゼになつた。コンサート通ひは長いが生れてはじめての経験(笑)。

しかしこの4楽章は本当に名演だつた。全ての声部が濃密に絡みながら己の歌を歌ひ、この曲特有の管弦楽法の薄さが殆ど感じられない出来。4番はブルックナーの中で最も有名だが、私にとつては最も退屈な曲である。初期の瑞々しい音楽的な模索や抒情は消え、後期のミステリアスなまでに深化した濃密な音の劇もない。谷間期の平明さとでもいはうか。それを無理に救はうとするとチェリビダッケのやうな極端な誇張になるが、ティーレマンはその路線を取らずに実に豊かな音場を作り上げ、ぎりぎりまでクレッシェンドを抑へたコーダはあのマジカルな感動に満たされた。それにしても……。東京の聴衆の静寂が、ブルックナーの名演を生む上で如何に貴重か、New YorkとSalzburgでとことん経験するとは思はなかつた。東京の演奏会を大切に育てる事は世界のクラシック音楽の維持発展に欠かせないやうである。

さて、今晩は愈々ティーレマン指揮の《ワルキューレ》だ。正味4時間、休憩を入れて5時間、開演は5時。今日の昼間の最大の仕事は昼寝だ。これから原稿の口述を終へたら、台本を読んだり、持参したフルトヴェングラーVPO、カラヤンBPOのCDで少しお浚ひをしながら眠くなつたら寝る、さうやつて5時を迎へよう。