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日本のティーレマン評價、それは斷然をかしい(2)/小川榮太郎(2009年04月06日)

(旧ブログ「ザ・クラシック評論」2009年04月06日より)

さうだ、演奏會批評ではないが、ティーレマンのブラームスの《第1》のレコードが出た時に、宇野功芳氏が、餘白に這入つてゐる《エグモント序曲》を一言、「ドイツの田舍者の音樂」と切つて棄てゝゐるのを今思ひ出した。何といふ耳をこの人はしてゐ、何といふえげつない物の言ひ方をするのだらうか。この《エグモント》の音の高貴な壯大、色彩の千變萬化、リズムの浮揚しながら踏み締める壓倒的な推進力、クレッシェンドのうねるやうな高潮は、全く比類がない。宇野流に私見を言へば、この演奏の前ではクナッパーツブッシュもクレンペラーも大味にしか聞えないと言つておかうか。力みのない壯大さと精妙な呼吸と印象派的な色彩の魔術の同居は、奇跡でなくて何であらうか。何故なら、これらこそ、フルトヴェングラーを他のドイツの指揮者らと分たつてゐた最大の魅力だつたのだからである。

ティーレマンの丈の高さと、指揮の技法の異樣な高さの先に見出された自由との兩立は、既に、歴史的巨匠の中でも一際輝く光芒と言つていゝ。その印象は壓倒的であるのに、しかも、靜かで不動である。《論語》爲政の言葉を用ゐれば、「その所にゐて、而して衆星之に向かはしむる北辰」の趣さへあるとさへ、言つておかうか。若さを理由に、言ひ掛かりを付けたがる日本の批評家の習慣によつて、この人の現在への評價が、留保され續けてゐるのは遺憾と言ふ他はない。演奏家は、「時」を逃してしまつては、後からは經驗不可能だからである。

フルトヴェングラーやクレンペラーが偉かつた事は今更批評家が蝶々する迄もない。その上、彼らは幾ら偉からうが、今となつてはレコードで聽く他はなく、批評が何を書かうとも、レコードを入手する事は誰にも容易である。だが、現役の演奏家の生演奏の價値は、コンディションの良い公演に遭遇する以外、手はない。批評界が冷淡に待遇する演奏家の公演が、聽衆の多くに敬遠されるのは當然の事だ。

だからこそ、バレンボイムの《トリスタン》の生演奏が、今や間違ひなく、クライバーを凌駕し、フルトヴェングラーにさへ匹敵するといふ事は、彼が現役である今だから、批評が言ひ續けねばならない事なのである。ティーレマンのブルックナーが既にチェリビダッケに匹敵するといふ事は、彼が現役である今だからこそ、批評がはつきり發言し續けるべき事なのである。

さうしなければ、日本の聽衆が、彼らを聽く機會は奪はれ續けることになる。そして藝もない有名指揮者に引率されたダルなウィーンフィルやラトルの下で迷走と續けるベルリンフィルに大枚を叩いて通ひ、これが今世界一なのだと思ひ込まされ續ける事になる。

オペラ指揮で誰も否定できない成果を披露し續けてゐるバレンボイムはまだいゝ。日本の批評があれ程バレンボイムに冷淡な中で、前囘來日でも東京での15公演を、ほゞ滿席に近い状態でこなしてゐる。これは、東京の聽衆の聲なき聲と言ふべきだらう。

だが、ティーレマンは違ふ。最初の來日が不評だつた、それは分る。10年以上前の初來日は實は私も聽いて失望したのを覺えてゐるからだ。だがその「評判」がかうも後々まで響いてゐるとすれば、批評家は、一體、今目の前にゐる彼を聽いてゐるのか、「評判」を聽いて批評を書いてゐるのか。實際、前囘の奇跡のブルックナーでさへ空席が目立つた。地方公演の空席は更に目立つた。特に東京でのブルックナーでは、會場の聽衆は稀に見る熱狂を示したが、何しろ、聽いた人間が少ない上、批評が低調では、多くの聽衆は、來春の來日も敬遠する事になりはしないだらうか。さうした事態が續けば、この大指揮者の來日の企畫自體が停頓し、日本の聽衆は、この人にのみ可能な偉大な音樂體驗の機會を本當に逃してしまふ事態にならないか。現に昨年のウィーン國立歌劇場來日では、ティーレマンの《マイスタージンガー》がムーティの《コジ》に差し替へられたではないか。

すつかり年老いた頃、或いは亡くなつた後で、幾ら「最後の巨匠」等といふ陳腐なフレーズで批評やレコード會社が襃めそやしても、遲いのだ。その時、ティーレマンの今輝く壓倒的な質―40代で己の資質の大きさに出會ひ、開花させ得た奇跡―を經驗する事は出來ない。今のティーレマンを經驗する事は、恐らく40代のフルトヴェングラーを經驗するのに匹敵する歴史的事件なのである。

日本の批評に當面態度變更を期待出來ないとするならば、聽衆の聲なき聲を、何とかして形にしてゆく他はない。來年の來日で、日本の聽衆間での、ティーレマン評價が確立する事を、切に願つて、この稿も書いてゐる。私自身は知人友人100人以上をティーレマンの公演に誘ひ合せるつもりである。(この項了)

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