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ダニエル・バレンボイム指揮/ベルリンシュターツカペレ管弦樂團/シューマン交響曲全集を聽く(1)(2009年11月12日)

(旧ブログ「ザ・クラシック評論」2009年11月12日より)

第1交響曲《春》 變ロ長調作品38

 作品に就て、充分深入りして書ければさうしたいのだが、今、その餘裕がないので、演奏批評に限る。この曲では、レコード藝術の別册などのベストレコード選びで、レナード・バーンスタイン&ウィーンフィル、オットー・クレンペラー&フィルハーモニア、ラファエル・クーベリック&バイエルン放送響などが定盤で選ばれるやうだ。私は、クーベリックは殆ど聽かず、この著名な全集ももつてゐない。今、わざわざこの比較の爲に買ふ氣持にはなれないので、その代り、手持ちの、カラヤン&ベルリンフィル、セル&クリーヴランド、ライヴではフルトヴェングラー&ウィーンフィルを聽いた。これらも全て、名盤として、赫々たる名聲があるのは、周知のとほり。

 第一印象で、まづ、甲乙を言へば、別格はフルトヴェングラーだと思つた。シューマンの解釋として妥當かどうかは別にして、音樂のあらゆる細胞が、生氣ではちきれさうだ。これだけ奔放なリズムで、よくこれだけ求心力のある音樂になるものだ。だが、レコードで繰り返し聽きたい種類の演奏ではない。音樂の讀みが、この録音では充分に傳はらない。演奏の異樣な迫力には快いショックがあるが、シューマン獨特の精緻な和聲感や、管弦樂法の問題の解決、また、この曲の性格の内向性と、青春の迸散との統合が、どうなされてゐるのか、さうした事が、この録音ではよく分らないのである。しかし、多分、比較を終へた最後、もう一度戻つてこなければならぬ演奏だとは思つてゐる。

 さて、それ以外の演奏を通して聽いた印象では、まづ、セルとカラヤンを選から落とす。セルは、思つた以上に音色、推進力ともにもたついてゐ、カラヤンもカラヤン節のまゝ押切つて、單調である。カラヤンの場合、細部を拾ひ上げるやうに大切に、音樂の味はひに深入りするやうな、作品への愛は、最晩年を待たなければ出てこない。このシューマンも、時々、豪快なトゥテッィで聽き手を壓倒する以外は、餘りにも、音樂的な讀みがない。通り一遍の美しさに終始する。

 一聽の印象が、最も鮮やかだつたのは、バーンスタインだ。愉悦に溢れてゐるし、えぐりも深い。ベストレコードに選ばれるのも妥當だと思はれた。一方、バレンボイムは、スケールはより大きく、呼吸が深い音樂作りだが、地味である。内容は濃いが、例へば、アレグロ・ヴィヴァーチェで、クライマックスに踏込んでゆく所での華がない。たゞし4樂章のクライマックスは壓倒的である。クレンペラーは、遲めのテンポでしかも剛毅率直な音樂。例によつてみづみづしい木管や對位法への配慮が音樂に明い光彩を與へる。魅力的な春先の華やかな庭園を、じつくり案内してくれてゐるやうだ指揮者の度量が大きいといふ印象である。この3點は、いづれも甲乙付け難いが、花やかな愉しさと要所でのえぐりの鮮烈さによつて、バーンスタインに一日の長がある、それが、私の率直な第一印象だつた。

 おそらく、ベストレコード選びでは、バレンボイム盤は、又、おほかたの批評家から無視されるだらう。だが、この第一印象だけでも、これが毎度ベストレコードとされるバーンスタイン盤と匹敵するだけの名演であるのは、私には疑へない事と思はれる。ちなみに、バレンボイムでも、シカゴ響とのブラームス全集は全く感心しない。この十年程の圓熟期以前のバレンボイムの演奏は、外向的で、内容空疎な場合が多いと、私は思つてゐる。このシューマン全集の第一番が、歴史的名盤に匹敵するといふのは、ひいきの引倒しでないと信じる。(この項續く)

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