ティーレマン指揮ミュンヘンフィルハーモニー来日公演速報  小川栄太郎(2010年03月26日)

(旧ブログ「ザ・クラシック評論」2010年03月26日より)

名古屋公演(3月25日愛知県芸術劇場)ヴァグナー「タンホイザー序曲」、ブラームス:ヴァイオリンコンチェルト、ベートーヴェン交響曲第5番

 名古屋滞在先のホテルで執筆しているため、仮名遣いや漢字に正書法を用いられない点を、まづ、読者にお詫びしておく。また、内容は備忘録に過ぎないことも。

 東京からの友人や家内、そして名古屋の友人らと聴いた。前日、伊豆の拙宅に遊びにきてくれていた我が親友、音楽の友S君が、未来の細君と共に、急遽名古屋まで足を延ばして、共に聴くことができたのは望外の喜びだった。

 それにしても、この巨大な演奏、記念碑的な、しかし、構築的といふよりも、音の、エネルギーの奔流は全く度外れている。第5の高揚は、ほとんど呼吸が止まるほどの衝撃だった。いや、話を急ぐまい。

 「タンホイザー」は実に自然に柄の大きな演奏だった。ほとんど、流しているだけのようでいて、音楽は尽きない泉のよう。冒頭の密やかで神聖な空気を丹念に歌いだせば、たちどころに雄大な眺めが現出する。主題が壮大な規模で提示される場面では、一呼吸溜めて、大きく踏み出す。中間部は殊更対比した扱いではなく、むしろ、シンフォニックな印象。そして4拍子で戻ってきてからのクライマックスでは、ティンパ二のみ半拍速く打ち収めるリズムを執拗に奏者に指示しながら、すでに、公演の終わりのような柄の大きな音楽空間が出現する。

 続くブラームスのヴァイオリンコンチェルトは、あまり細部に拘泥しない速めのテンポでの出だし。ヴァイオリンのレーピンも、現代の一般的な演奏家らと同様、一気呵成に歌いだしてしまうのは、私の好みとはいささか違う。ヴァイオリンソロが、一気に聞き手を惹きつけ、同時に、ブラームス固有の音の世界をまづ提示すると恰好の場面。レーピンの師、メニューヒン(フルトヴェングラー指揮)の、あの高貴で性格的な出には遠く及ばない。しかし、さうした比較は今はいい。1楽章では、ティーレマンがレーピンを慮って、彼自身の考えている楽曲の音楽的なスケールを必ずしも打ち出していないように感じた。これは、もちろん、ヴァイオリンと重なる部分でオケを控えめに鳴らすという話とは別のことだ。この曲の感情領域の可能性は、ブラームスの他の曲と同様、こじんまりとまとめてしまうことも可能だし、フルトヴェングラーや晩年のカラヤンがかつてやつたように、深遠な世界へと限りなく飛翔することもできる。1楽章では、アゴーギグは大きめに取られていたものの、音楽がやや額縁におさまっている印象が残った。しかし、それらの不満がすっかり払拭されたのは、レーピンのカデンツァ(ハイフェッツのもの!)からだ。単に技巧的なだけではなく、ブラームスの書法への理解と挑戦を秘めたこのカデンツァを、レーピンは見事に弾き切った。この高音! これはメニューヒンのプラチナトーン直伝と感じたが、私の先入観か。2楽章は見事の一言。二人の成熟期を迎えた大音楽家同士の、男の渋い対話としての音楽。私のとりわけ好きな楽章だが、これだけ、管弦楽パートの繊細で、しかも木管を中心とする書法を歌い尽くす演奏は、他に聴いたことがない。オーボエ奏者は卓越しているという以上。心酔した。前回来日時よりも、木管パートは全体に非常に音楽的な表現力が向上した印象を、私は持った。それにしても、中間部の、もう一つの雨の歌と言いたいあの傷心の音楽を聴きながら、時間よ止まれと、私は、時間よ止まれと、何度呟いたことだろう。

 3楽章については、批評の必要ない名演奏。あのハンガリー舞曲風のリズムをティーレマンが踏みしめると、大地は鳴動する。さうかと言って、しばしば顔を覗かせるインテルメッツォ風の味、これもまた、実に繊細の限りを尽くして味わわれている。そう、音楽を味わっているのは、僕ら聴衆ではない。オケの団員であり、指揮者とヴァイオリニストである。終結部も、ことさらあおらず大きく余裕のある演奏だった。

 休憩後の第5は、途方もない演奏。1楽章が予想に反して、アレグロ・コン・ブリオの、しかも力みのない流れる演奏で、肩透かしを食った。私はてっきりフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュの路線をひた走るベートーヴェン演奏に、ティーレマンが接近していると思っていたからだ。むしろ、叙情的で淀みのない演奏である。ああ、時間切れだ。2楽章以下が、もう考えられないくらい見事だったこと。3楽章のトリオ、そしてブリッジの部分の表出力のすごさ、4楽章への息苦しいまでの期待。そして4楽章では、オケも聴衆も引き摺られぱなし。高揚につぐ高揚につぐ高揚。私は感動を通り越して苦痛を感じるほどだった。このプログラムに関する詳細は、サントリーホールでの最終公演後に再度掲載する。なほ、明日は福岡でのブルックナーの第8である。

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秘書室
文芸評論家・小川榮太郎秘書室です。