ニューヨーク日記(2日目) 平成29年1月20日

 コンサートからホテルに戻り、近くのスーパーで買つた「sushi」を食ひながらこれを書いてゐる。食ひたい味ではないが食へない程ではないので助かつてゐる。

 今日は11時半に起床。夜の公演以外予定がないので、時差ぼけを解消するために目覚ましをかけなかつた。昼飯は近所のトンカツ屋で「おろし黒豚ロースかつ定食」。一人物を考へながら食つてゐると、ニューヨークにゐる事は忘れる程には日本の味に近い。帰宅後今夜の公演の予習をしながら又寝てしまふ。夕方6時に起きる。コンサートは8時、ホテルからカーネギーホールは5分だが、腹は全く減つてゐないから部屋で予習の続きをして過ごした。

 コンサートは、バレンボイム指揮SKBのブルックナー全曲演奏会&モーツァルトのピアノコンチェルト弾き振り選集の二日目。全日カーネギーホールで行はれるが、昨年のサントリーホールでの全曲が素晴らしかつた事もあり、又、バレンボイムの来日が激減し高齢になつてきた事もあり、全曲を聴きにやつて来た。物見遊山か休暇と思はれるのは心外だ。これが私の専門である。

 さはさりながら、英語も喋らない中年の日本人が妻も同伴せずにNew Yorkにやつてきて、オーストリーの作曲家の交響曲を、ユダヤ人指揮者の振るドイツのオケで全曲聴いて、それだけでニューヨークの夜の冒険もろくにせずに帰るといふのだから、コスモポリタニズムの滑稽な落語、まことにこれに過ぎたるはなし。

 演奏は前半のモーツァルト20番から強烈な集中力だつた。昨日の27番が夢見心地で始まり、終始、一種曖昧な沈鬱の内に終始したのが嘘のやうだ。あれは彼の時差ぼけの為か、私の方に原因があつたのか、それともバレンボイムにありがちな気乗りのしない内の開幕だつたのか、いやあれこそ彼の27番の解釈だつたのか。

 それはともかく、この20番では出のオケの弦楽合奏が対位法的に聞こえる程、伴奏音型たちにまで徹底的に弾き込ませながら、堂々たる悲劇を紡ぎ出す。ピアノも孤独の内に閉ぢこもるどころかオーケストラとの対話に自ら乗り出す、全くベートーヴェン的な雄弁の世界である。一方、二楽章の朝ぼらけの透明な世界は粒立ちの鮮やかなバレンボイムのタッチで天衣無縫に戯れ、美しかつた。が、聴き物は終楽章だつた。嵐のやうな世界。分厚い弦のトレモロが戦慄のやうに轟き、音楽は疾走する。が、悲しみは疾走しない、寧ろ演劇的で人間的な世界が展開する。20番のモーツァルトには、ベートーヴェンにはなくてモーツァルトにあるもの――あのミステリオーソの底知れぬ深淵はない、寧ろ、ここにはベートーヴェンに最も接近した時のモーツァルトの演劇的雄弁がふんだんにある、バレンボイムははつきりその方向でこの曲を解してゐる。

 実際、カタストローフまで追ひ込まれた悲劇が、カデンツァでやはらげられた後、バレンボイムはまるで祝祭のやうな晴れやかさで、最後だけニ長調に転じたその終結を寿ぐ。同じ調性で書かれた〈ドン・ジョヴァンニ〉の破滅の後の終結部の愉悦の残響をここに聴いてゐるのは明らかだ。

 プログラム後半のブルックナー二番も大変立派な演奏である。冒頭のロマンティックな第一主題がチェロに出る、これだけで音楽の尺度が桁違ひに大きい。恰幅がいいのではない、姿の丈が高いのである、品格も含め、歌の豊麗さも含めて。

 この曲でのバレンボイムは金管を極度に抑制して弦主体で音楽を作る。その事は、冒頭主題が少し進むとトランペットにブルックナー特有の付点の「信号」が出るが、それが殆ど弦のアンサンブルの中に溶け込んでゐる事でもはつきり知られる。この信号の役割が、合奏の外にあつて音楽に鋭い楔を打ち込む事にあるとすれば、バレンボイムのこの解釈は当を得てゐない事になる。実際殆どの演奏がこの信号を異界からの訪れのやうに強く浮き上がらせてゐる事からすれば、この解釈は異例であらう。

 弦主体で金管を抑制し、弦の厚みで音楽の骨格の大きさを作る事――これはバレンボイムのブルックナー解釈では明日予定されてゐる3番でも同様で、4番以後、壮大な金管のファンファーレを特色とするブルックナー様式を応用せず、初期を意識的にシューマン後のロマンティック交響曲の様式内で解釈する姿勢だと考へていいだらう。

 このバレンボイムの解釈はさう考へると歴史的になかなか意味深長なのである。

 交響曲はクラシック音楽の華々しさと劇的なロマンティシズムを代表するジャンルだが、実際にはベートーヴェンの第九で1825年にいきなり頂点に達した後、気圧されたやうに傑作が出ない半世紀が続いた。シューマンの地味だが美しい4曲と彼が発見したシューベルトの8番を例外とすれば、1865年に書かれたブルックナーの第一交響曲は、久々の傑作だつたのである。一部からベートーヴェンの後継者と目されてゐたブラームスはそれがかへつて重圧となつて交響曲の完成は遅れに遅れ、第一交響曲は1776年、何と〈指環〉の全曲上演の年まで完成できなかつた。一方、ブルックナーはブラームスの躊躇をよそにせつせと交響曲の作曲に勤しむが、一向に世に認められず、彼の交響曲が成功するのは、やうやく1884年に第7番が初演された時の事となる。

 要するに作曲が遅れに遅れたブラームスの第一と、書いても書いても認められなかつたブルックナーの第七番の遅咲きの成功――何と作者60才での初成功だ――で、ベートーヴェン以後半世紀以上にわたつた交響曲の不調が終り、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、マーラー、シベリウスらの傑作が続く事になる訳である。

 ブルックナーの初期はブラームスから見ても遥かに以前の仕事であつて、ましてその響きを後期ブルックナーの印象からは借りてこないといふ事――実際には、カラヤンのやうに全てを後期ロマン派風に纏める癖のある人はもとより、ヨッフムやスクロヴァチェフスキーのやうな歴史性や古典性を重視するタイプの指揮者でも初期様式を中期と別には考へてゐないやうに思はれるが、バレンボイムの、少なくともチクルスの生演奏では、この響きの違ひは自覚的なものだ。

 その結果三番が――明日改めて聴いての愉しみとするが――サントリーでのチクルスでは一番物足りない出来だつたのは事実である。初期と言つても、ブルックナーのソノリティも音楽的な思考も格段に豊かになつた三番では、もつと踏み込んで演奏に矯めも欲しく、金管の解放的な響きも欲しいと感じたからだ。

 しかし二番での弦重視は概ね音楽の厚みを引き出すのに好適だつたと感じる。弦が前に出る事で、弦の間での対位法的な絡みと木管や金管との絡みの全てが充分に聞き取れ、その事で音楽は圧倒的な深みを帯びるからだ。とにかくこの1楽章がこんな風に大きな音楽になるのを聴くのは、それも金管を抑制してかへつて――初めてだ。

 二楽章も十二分に美しいが、この楽章に関しては、もつと後期に引き寄せてもよかつたのではないか。平板な所の全くない深々とした、しかもよく流れる演奏である。不足があるのではない、が、この音楽は交響曲に先立つてブルックナー的な世界の最初の開示となつたミサの引用に示されるやうに、ミサを交響曲様式に置き換へて、なほ全く齟齬のない見事な宗教的法悦と、ロマン派音楽の融合がなされた天才的飛躍の記録である。ベートーヴェンのエロイカがさうであつたやうに、第2のアダージョはこれなくしてブルックナーの逆説――世俗交響曲に宗教的法悦を歌ひあげてゐるのに全く様式的な齟齬を超越するといふ――は成立しなかつた。この作曲を乗り越えてブルックナーは深刻な神経衰弱から立ち直る。その傷と、その葛藤と、その祈りと――バレンボイムはヴァグナーの毒の深みには降りてゆけるのだが、この無垢な傷と法悦になると、彼が音楽に見出す世界がやや健康過ぎる。勿論、だからカラヤンやヨッフムの方が深いとは言へない。第二にはフルトヴェングラー、チェリビダッケら「病者の光学」を理解する解釈者のレコードが残されてゐない。……

 2楽章のスケルツォは様々な名盤群と較べても、絶品といふ他のない立派な演奏。こんなゆとりのあるテンポで、フレージングの一つ一つがこれ以上なく立派な楷書でありながら、こんなにも遊びがあるなんて。中間部の素朴な音楽が、素朴なままどれだけ丁寧に吟味され尽くすやうに歌はれてゐた事か。

 4楽章は、弦主体で金管を完全にその中に溶け込ませてゐる。クライマックスの多くは金管の鋭い三連符によつて、弦が作る世界を引き裂くやうに鋭く対比されるのが常だが、バレンボイムでは弦を含めた全体で音楽を響かせる。これは1楽章冒頭の金管の信号でも触れたが妥当な解釈なのか。それにしても、この終楽章は複雑な構造だが、全く長さを感じさせない。その秘密はどこにあるか?

 その辺りを少し考へながら、明日の夜の三番を楽しみに待ちたい。

 本当はまだ書きたい事はある。Carnegiehallについての感慨も、それから今日のコンサートはバレンボイムのカーネギーホールデビュー60年目との事で祝辞とバレンボイムのスピーチが終演後にあつた事も。英語の錆付ききつた私でも彼の分り易い英語はある程度は理解できたし、バレンボイムの皮肉とアメリカの聴衆のギャップに感じるところもあつた。又、会場では意地悪な老婦人のいぢめにあつたので、この白禍を論じる事も明日の愉しみにとつておく。

 眠くなつた、お休み。皆さんは後3時間も我慢すると酒盛りの時間だね。呑み過ぎては健康に毒ですから程々にね。←一遍言うてみたかつた(笑)

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秘書室
文芸評論家・小川榮太郎秘書室です。