ニューヨーク日記(5日目・1) 平成29年1月23日

 昨晩は3時過ぎに目が覚めたが、すぐに眠りに戻れ、その後9時までよく眠れた。やうやく身心が慣れてきたか。

 昨日は古今和歌集十五巻恋五を読んだ。1巻纏めて読めたのは12月中旬以後初めて。これでは物書きではない。帰国後の仕事の仕方を抜本的に変へる決意を新たにする。ブルックナー第6交響曲の予習。この曲は昨年サントリーでのバレンボイム指揮で特に見事だつたから少しでも理解を深めて臨みたい。源氏は末摘花を文庫で5頁程。マクベス論の参考文献がない中で書ける限界まで。昼はハンバーガー。これはお勧めの美味い店だつた。夜は蕎麦屋。酒を3合弱。呑み過ぎだな。今日、明日は禁酒の予定。

 今日は4番。夜まで日本古典とブルックナーとシェイクスピアの勉強。東京での生活がひどすぎたので、もう少し読書してからでないとメトロポリタン美術館などに行く気にはなれない。

 新聞もテレビもネットニュースも見ないので、ニューヨークにゐてもトランプ大統領に関するものは眼にも耳にも入らない。街中は平常。ただし徒歩圏内にあるトランプタワーには出掛けてゐないが。

古今集をここまで読み進め、どうしても初讀で理解できない場合が残る。単語が原因といふのはもう殆どなく、文法は私の苦手な「ぬ」――打消しか完了か――と幾つかの反語だがこれもまあ殆どない。掛詞の初出は見えない事が多いが、やはり文脈の飛躍に付いてゆけない場合が一番多く、これは語釈で分つた後にも正直な所、表現として無理だと感じる。貫之、忠峯、伊勢ら著名歌人に多い。特に伊勢の歌はここまでほぼ全敗。三十一文字では表せない事を表す無理といふ事ではないか。無論、経験を積めば解釈のデータバンクは貯まるし、伊勢の歌は男とのやり取りなのだらうから、受け取つた男が理解できなかつたといふ事はないのだらう。或いは、二人だけに理解できる状況を前提とした高度なニュアンスが込められてゐる事が多いといふ事か。

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秘書室
文芸評論家・小川榮太郎秘書室です。