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ニューヨーク日記10日目(1) 平成29年1月28日

 朝7時前に目が覚めた。この時間、まだ外は真暗で、空は重い雲に閉ざされてゐる。今日は晴れろよ、今日は晴れろよ。

 バレンボイムの7番は3回目。彼のブルックナーの有名交響曲では5番と並び7番が特にいい。4番はサントリーは見事だつたが今回は良くなく、8番の彼の解釈には疑問が残り、9番はもつとできるだらうにそこまで沈潜しきつた演奏になつてゐない。
しかし今回の7番は、さうした比較を超えて全く圧巻だつた。

 1楽章冒頭の弦のトレモロのピアニッシモが違ふ、要するに、ニューヨークのノイジーな聴衆向けでないのである。ピアノ4つ位の最弱音で始まる。

 東京の聴衆の悪口を先日書いたが、いや、訂正します。連日連夜カーネギーホールの咳だらけのブルックナーを聞かされてきた身には、反応なんてどうでもいいから静かな聴衆のありがたさがしみじみとわかつた。ピアノやパウゼに限つて咳やとてつもないドアの音、物の落ちる音がうまい具合に会場に響く事が何度あつたか。彼らはノイズによつて共演してでもゐるつもりなのか?

 チェリビダッケやティーレマンはいつもこの極限のピアニッシモで勝負するが、バレンボイムはそれを多用しない。が、今晩はその勝負に出た。そしてこの極限のピアニシモで始まった途端、ハイ、そこのあなた、とんでもない咳である。生中継といふ事もあつたであらう、バレンボイムは演奏を中止し、振り向いて口に手を当てて見せた。聴衆は拍手する。ニューヨークの聴衆だつて多くの人は静かにしてほしいのである。再びpppp。……音楽が緊張に満ちて始まる。が、会場ノイズは、5番までよりはましだがそれでさへ東京に較べる
とうるさい。直接指揮者に注意されてもこれか。トスカニーニやチェリビダッケならば演奏を放り出して客席に殺しに行つたであらう。

 それはともかく、極限のピアニシモで始まり、終始立派な1楽章が終る。2楽章は後半に音楽が沈潜し、どんどん遅くなる。そして長い全休止。この、沈潜して遅くなるのも、長い全休止も、チェリやティーレマンの独壇場だが、バレンボイムは日頃あへて取らない所だ。彼はノーマルな外見のまま深まる道を選びたがる。かうして連日聞いてゐてはつきり思ふのは、今の彼にはチェリ並の超スローテンポは可能だらう、が、彼はそれを誇張と見て取らないといふ事である。しかし、今日の彼はかつてない程、音楽の歩調を緩めてゆく。しかもさうしながら殆ど棒を振らない。棒を振らずにテンポを落としてゆくのは!!

 ただし、ここまでは7番といふ曲を名曲ならしめてゐる主要な楽章なので、彼の演奏が立派だとしても、歴代の演奏から際立つわけではない。

 素晴らしかつたのは3,4楽章である。7番はブルックナーでは例外的にフィナーレが短く、アレグロでよく動く音楽である。3楽章も、特にこの後の8,9番に較べ、素朴ないい味はひはあるけれど、音楽としての凄味はない。どんなよい演奏でも後半に入つて音楽が小さくなるのが普通である。

 ところが、今晩のバレンボイムはこの最後の2楽章を比類のない高さ、壮大さで描ききる。

 細かい事だが、一つだけ覚書しておきたい。3楽章の241小節から。音楽は既にffで、この後fffのクライマックスが来るのだが、ここでホルン、トランペット群とトロンボーンが同じ付点のリズムを二度繰り返して掛け合ふ。バレンボイムは、引つ掻くやうな指揮で掛けあひを強調しながら、音楽に微妙な間を作り、次の245小節の全奏で、今度は木管群を強烈に突き刺すやうに指揮する。すると実際に木管が、後ろの席でフォルテを吹き鳴らしてゐる金管を突き抜けるやうに群としての「音」が前に出て来るのである。この後、全体のfffが来ると管が単純な下降旋律を吹く中で、今度は弦に凄まじいトレモロを弾かせる。彼らは文字通り髪を振り乱し、弦がしぶきを上げるやうに管のfffとぶつかる。

 タン・タタンといふリズムの繰り返しでクレッシェンドし、fffになつてからは全奏で主題をやるだけの単純な箇所から、リズムの掛け合ひの面白さ、金管と木管群のアグレッシヴな音色のぶつかりあひ、弦と管群とのぶつかりあひ――普通聞かれるこの箇所とは全く違ふ一節一節の面白さの発見、その積み重ね。これが全曲に渡る訳である。

 4楽章ではバレンボイムはノヴァーク版に依拠した徹底的なテンポ変化をとことんやり尽くす。きらきらと音の断片が躍るやうな第一主題、そそり立つやうな金管の全奏の第三主題、その谷間で愁ひに満ちたチェロによる独白の第二主題。それぞれに与へられる変化、そして後半第三主題と第一主題が異なるテンポでぶつかりあひながら、コーダへとなだれ込んでゆく辺りの畳みかけ。これはもう寸分の隙も無い名人芸だ。

 そしてコーダ……。

 チェリやティーレマンが極限的なスローテンポで天国的に雄大に歌ひあげるこのコーダで、バレンボイムは、寧ろ先を急ぐ。フルトヴェングラー流儀のアッチェルランドに近い。しかし音楽は全く小さくならない。黄金色の音の破片が煌めきながら、音楽はどこまでも高みに上がり、拡がり続ける。一般には第一楽章のコーダの繰り返しのやうな印象を与へるのだが、今日のはもうまるで高揚感が違ふ。1楽章のそれはあくまで壮麗で立派な1楽章のみの締め。しかし、フィナーレコーダは、全曲のあらゆる音楽的な諸相の長大な旅の後を受けて、輝かしい興奮と充足感で天に飛翔する。楽団全体がその旅をしてきた後の、充実しきつた音に自ら酔いしれ、夢中になりきつてゐる。1楽章と音の高揚感と充実感が全く違ふのである。

 かういふ事ができるのか、ブルックナーでの壮大極まる急テンポといふものを、私は初めて経験した。

 6番までは随分時間が経つのが遅く、ブルックナーの旅はさすがに延々と続くものだと感じてゐたが、かうして7番が終ると、後は8番と9番のみ。突然のやうに終焉の気配となる。明日にはこの旅が終るのだとは信じられない。

 今日の8番は、余り予習は必要ない。3楽章の主題とその変奏を頭に入れ直す事と4楽章の展開部から再現部を見直しておけばいい。それよりも、7番までの旅でブルックナーに私が何を感じてゐるのかを静かに振り返り始めたい。

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