日本のバレンボイム評價への疑問(1)小川榮太郎(2008年03月29日)
(旧ブログ「ザ・クラシック評論」2008年03月29日より)
一昨日來、上京してゐる。コンサートにあはせて數日滯在することが多いが、別段用がなくとも、親しい友人たちに會ふといふ樂しさもある。その代はり上京するとレコードが聽けない。レコード批評が滯るのは、致し方ないことである。
今、マーラーのレコードに關して書く爲に、少し勉強してゐる最中だが、何枚かをこの欄で取上げる前に、少し、日本のバレンボイム評價に就て、雜感を記しておくことにしたい。
バレンボイムに就ては、このブログに取上げた以外にも、掛値なしの偉大さに就てじつくり論じた長篇の批評を昨年來2本仕上げてゐ、これは近い將來、何らかの形で上梓したいと思つてゐる。バレンボイムの演奏が、批評家としての私の慾望を掻きたてた爲なのは當然として、同時に、日本の批評界の、バレンボイムへの極端な冷淡さへのプロテストの意味もあつてことである。
バレンボイムは、神童としてデビューし、モーツァルトのコンチェルトの彈き振りのレコードで注目されたが、その後、外目には、20歳過ぎればたゞの人、或いは右から左に仕事をこなすだけの才人であるかに見えた時期が長かつたことは認めねばなるまい。今にして思へば、己の資質を信頼し、今の自分の慾求に正直に從ひながら、焦らずに成熟を待つといふ生き方は、この人が積極的に選んだものだと知れるのだが、さうした内的な選擇は、しばしば外からは見え難い。人間の人間を知る、何ぞ難き、とは我が敬愛する正宗白鳥翁の言だが、まことに、己も人も、知り難く謎に滿ちてゐるのが人間であらう。最も親しい人でさへ、祕められた悲しみどころか、そのこゝろの大きな動きさへ、知ることは出來るのか。まして、壯年期、あらゆる仕事に手を出して、その割に無造作なレコードを「量産」してゐた頃のバレンボイムに、手早く墮落を見て、こゝろ離れた日本の評論界の、當時の視界の狹さは致し方なかつたらうと思ふ。
ことに、日本での演奏家の評價軸は、レコードが基準となる習慣が拔き難い。レコードは、堆積し、固着し、聽き手の判斷をも、固定した“定評”に凝固させ易い。例へば、生演奏にしばしば親しみながらカラヤンを評價してきたヨーロッパの評論界では、カラヤンは、フルトヴェングラーとの連續性でとらへられる事が多いが、日本では、レコードといふオブジェ制作者としてのカラヤンと、ライヴ録音のフルトヴェングラーとが比較され、極端な對比として語られる、こんな例は枚擧に遑もない。コンサートでの生の音樂家の實力に日常的に親しみながら、そちらを基準にレコードを評價するヨーロッパとの著しい違ひであらう。
バイロイトの《第9》、シャルル・ミュンシュのブラームス《第1》、カルロス・クライバーのベートーヴェン《第5》《第7》などが何十年にも亙つて、日本で歴史的名盤の王者の地位を守つてきてゐるのも、批評による増幅效果に違ひない。數あるフルトヴェングラーの《第9》の中で、バイロイトの《第9》が最も卓越してゐると云へるかは、疑問も大きい。まして、ミュンシュやクライバーのレコードになれば、それ程の大演奏であるとは、私には全く思へないが、名盤も一つの「制度」に過ぎない譯で、その固着化は、クラシックジャンルの安定の象徴と看做されるべきなのであらうか。
壯年期のバレンボイムが、實演での腰の据ゑやうと對照的に、レコードを、才に委せ、感興に委ね、氣輕に量産してきたのは、決定的名盤への慾求が強く、そのやうな“定盤”を軸に、演奏家の名聲が定まる日本の評價環境には著しくなじまない歩み方だつた。今聲を大にしてバレンボイム讚を繰返してゐる私にしたところで、この人のパリ管時代、そしてシカゴ響時代前半期のレコードがいゝとは思つてゐない。自白すれば、大學時代、實演でバレンボイムに感心した私は、ずゐぶん澤山、この人のレコードを買ひ、次から次に聽いてみて――そして、その全部に失望した過去がある。惡くはない、だが、何かが足りないのである。今、それを確かめる術さへないのは、當時買つたバレンボイムレコードの殆どは、中古屋さんに賣り拂つてしまつたからだ。それが、壯年期のバレンボイムに對する私の「評價」である。
實際、1996年に、チェリビダッケが亡くなつた時、私は、極端に云ふと、クラシック音樂はもう終りだとさへ思つたものだ。どこまで追ひかけても聽きたいやうな演奏家、存在そのものが論議を呼ぶやうな全人的な音樂家が、クラシック界からたうとう消え去つたといふのが、僞らざる實感であつた。失意の私は、その後數年、クラシック音樂のコンサートに行く事さへ全く止めてしまつた程だ。勿論、あの頃、バレンボイムが、こんなにも凄い《トリスタン》を振る指揮者にならうとは想像もしてゐなかつた。ポネル演出の映像は、LDで持つてゐたが、それこそ「何かが足りない」典型のやうな指揮ではなかつたか。正直なところ1度聽いて退屈した。あれならば、レコードでもつといゝ演奏が何枚もある。フルトヴェングラーや、クライバーに、到底かなふまい。
だが、人間といふ生き物は面白いもので、50歳を過ぎてからでも、人によつては80歳を過ぎてからでも―朝比奈さんのやうに、更に大きくは北齋や鐡齋のやうに―偉くなることもある。こゝ10年のバレンボイムの急速な圓熟は、かつての彼のレコードを知る者には、にはかに信じ難い深まり方なのである。フルトヴェングラー、クレンペラー、カラヤン、チェリビダッケらの衣鉢を繼いで、全く遜色ない、偉大な巨匠の域に達してゐる。レコードに較べ、實演で乾坤一擲の表現に達した時こそが、この人の本領と思はれるから、粘り強く生演奏の機會を追ひ掛けて、虚心に聽いていたゞければ、私のバレンボイム讚への贊同者は、間違ひなく増える筈である。(たゞし、外れもある。私の聽いたバレンボイムのワーストコンサートはいつだつたかシカゴ響と來日した時の《悲愴》交響曲だつた。體調のせゐもあつたやうだが、腰の坐らぬとつ散らかつた演奏で、聽きながら苦笑がこぼれたのを覺えてゐる。)
それにしても、批評家諸氏は、繼續してこの人を聽いてきてゐる筈だし、昨年の來日公演も當然聽いてをられる筈だらう。このブログでも書いた通り、昨年ベルリン國立歌劇場との來日での、《トリスタン》は、あの有名なフルトヴェングラーの盤を含め、私の生涯最高の《トリスタン》であり、《ドン・ジョヴァンニ》も、同樣だつた。かういふ言ひ方は、私の誇張癖なのかも知れないが、經驗した感銘の方に誇張はなかつた。さうした域にまでこの音樂家が成長する過程が、日本の批評家の誰1人のこゝろにさへ、全く止らない、或いはさうした意見をはつきり述べる人が1人もゐないといふのは、どうした事なのか。
手前勝手な料簡を竝べるのを許していたゞきたいが、あれ程尋常ではない音樂の質さへもが、批評家たちの判斷に、大きな變更を及ぼさないとすれば、そもそも彼らは“批評”家なのだらうか。批評とは、強い感銘に耐へかねたこゝろが、言葉を搜して、自分の感銘に形を與へる、感受性を自ら守る性質の營みだと、思つてゐる。演奏をオブジェとして眺めて、適度な注釋を交へてレポートすることは、批評の營みの末にくる社會的便宜に過ぎない。まづ、批評家の魂を所有しないでゐて、知識や經驗を切盛りしても、それは音樂とも批評とも關係のない言葉遊びに過ぎなくはないのであらうか。
感銘に對しても、疑問に對しても、もつと彩色鮮明な、己一個の感じ方を強く打出して、掻き口説かうとしないならば、何故、彼は音樂に就て、語らうとするのか? 何で、最高に素晴しいものも、程々な優等生音樂も、名聲にそぐはない凡庸な演奏會も、全てが全て、日本の批評家の手に掛ると、そこそこによく、そこそこに刺激的で、そこそこに中身のある、と云つた風な灰色に染つてしまふのか。己の感銘に率直な批評の息吹は、今日では職業批評家よりも、ブログでのコンサートゴウアーの方々の日記により強く出てゐる。厖大な情報を整理して、關心ある人々に紹介するジャーナリストの役割を、批評家が擔はねばならないのは理解してゐるが、もつと、音樂と生な關はりを身に負つた言葉を批評に見出したいと思ふ人間は、私だけではないだらう。
現代日本に於ける批評家魂の衰弱と、バレンボイム評價の低調とは、私には軌を一にした現象と思はれる。(この項續く)