朗報! ティーレマン指揮ミュンヘンフィルの來日決定! 小川榮太郎(2009年03月29日)
(旧ブログ「ザ・クラシック評論」2009年03月29日より)
これは批評ではないが、何よりも嬉しい事なので、一言掲載する。先日、eプラスから配信された電子郵便で、クリスティアン・ティーレマン指揮ミュンヘンフィルの來日が報じられた。とりあへず、2010年3月25日木曜日、愛知懸藝術劇場の分だけが先行して發賣されるやうだが、私にとつてこれ以上嬉しい事はない。前囘の來日での奇跡のブルックナーに就ては、何度かこのブログでも書き、他に纏まつた評論も書いたが、何しろ日本の評論家先生方には、受けが今一つ宜しくなかつたので、次囘の來日がどうなるか、心配があつた。ミュンヘンでさへ、この人の公演は決して多くない。これ程早期の再來日は、正直な處豫想してゐなかつただけに、望外の喜びである。
愛知の公演は、タンホイザー序曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲、ベートーヴェンの《第5》で、まるでフルトヴェングラーのコンサートのやうなプログラム。私に否やがある筈もない。東京でのプログラムはどうなるか、又、幾つ持つてくるのだらうか、すぐに分る事なのだらうが、胸は今からときめく。
前囘の來日では、何と言つても、ブルックナーの《第5》が壓卷だつた。ブラームスの《第1》も素晴しかつたが、これは、或る意味で議論の分れる演奏といふべきだつたのだらう。ブルックナーの《第5》は、議論の餘地のない至高の經驗と言つていゝ。あれを思へば、今囘も、何とかブルックナーの、それも《第8》を入れてもらへないものだらうか。
ティーレマンのブルックナーは、ヨーロッパでは既に、かつてのチェリビダッケのそれと竝ぶ傳説となつてゐる。前も御紹介したが、ティーレマンのドキュメンタリー番組で、パリオペラ座でのウィーンフィルとのブルックナーの《第8》―權利の關係なのか、斷片を映像化する事をティーレマンが拒否したのか、演奏シーンが殆どないのが奇妙だが―では、聽衆の熱狂は、殆どスポーツ觀戰のやうだ。ブルックナーが、パリつ子のかうした熱狂を浚ふのは、彼らのドイツ藝術偏愛癖から理解出來るが、それにしても、あの熱狂振りは尋常ではない。終演後、聽衆の一人が、「今日のブルックナーは以前聽いたカラヤン以上だつた」とティーレマンに贊辭を呈してゐたが、實際、現在のティーレマンのブルックナーは、ヨーロッパの批評家らによつて、カラヤン、チェリビダッケとの比較で語られるのが常例になりつゝあるのだらう。
前記、サントリーホールで聽いた《第5》も、最初のピッツィカートに、既に、無限の色彩があり、思惟があり、音の背後に無言の豐饒があり、私はこゝだけで、完全にノックアウトされた。その次のクレッシェンドに至つては、腰が拔ける程の壯大な息の長さで、ホール全體が聖堂と化したかのやうであつた。こゝは、かつて同じサントリーホールでチェリビダッケを聽いた時にも、強い印象を受けたが、ティーレマンは音樂の立ち姿がより自然で、自然である分だけ柄が大きい。巨大な繭のやうに精緻に編み込まれて、聽き手を閉ぢ込めるチェリビダッケの音の、異樣な緊張に對して、壯大な山脈の世界――樹林と礦石と大氣と白雪と突拔けるやうな青空とに聽き手を思ふ樣解放する音である。ヨアヒム・カイザーが、彼を、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュと竝べるのに、全く誇張はない、私はこの音の中で、たゞちにそれを確信した。
後は、たゞもう音樂の壓倒的な内的重量に、引きずられ續け放し。1樂章後半からは、たゞでさへ遲めのテンポが、目立つて遲くなつてゆく。ティーレマンがさう指示してゐるのではない、團員達が、一丸となつて、この音樂の深淵へと潛行に繼ぐ潛行を續けてゆく。全く自發的な團員全員の、音樂への内的遡行で、指揮者は寧ろ、彼らの選擇を後ろから嬉しさうに追掛けてゐるとさへ見えたものである。嚴密に言へば、遲いテンポなど、そこにはなかつた。あつたのは、たゞ自づから音樂が團員全員によつて生きられてゆき、その波動が私の心身を透過してゐるといふ不思議な感覺である。時間が空間の中に融けいつてゐる。音樂のあらゆる意味が完全に了知されてゐながら、意味超越的なエロスの全一性に浸つてゐる。
この音樂的實在の無盡藏の海の中で、私は、かつて來日公演で聽いてきた巨匠達―チェリビダッケ、カラヤン、バーンスタイン、クライバー、テンシュテット、朝比奈等々―の呪縛からほゞ完全に解放された。とりわけ、チェリビダッケの生演奏が最早聽けないといふ事は、年來の悲しみだつた。が、もう歎く必要はない、確かにチェリビダッケのあの音、あの空間は再び體驗され得ない。だが、あの體驗は、今、私たちの時代に、クリスティアン・ティーレマンがゐるといふ事實によつて、新たな意味を帶び、限りない豐かさで記憶の内に甦る。それは何と素晴しい事であらうか。さうした持續をこの情報の大量消費時代にも可能にしてゐるヨーロッパ文明は、何としぶといのであらうか。(この項續く)