ザルツブルク日記#3 2017年4月15日
昨日は寒い曇天だつたが、街を取り囲む丘を妻と二人で歩いた。こちらに来て嬉しいのは少し街から林に入ると溢れるやうに聞こえてくる鳥の囀りだ。よく響き雄弁、山間の新緑の中を様々な囀りが透明な対位法で伸びやかに交差するのは視覚と聴覚とのシンフォニーのやう。この鳥の声の豊かさは西洋音楽――特に木管の発達や対位法の成立と関係がありさうだ。まあ、ベートーヴェンの〈田園〉の2楽章もメシアンの〈鳥のカタログ〉も自然の囀りの無限の妙味には完敗といふ所か。
昨日は長い散策の後、午後3時の汽車で妻は帰国の途に就いた。妻との旅も久しぶりだつたから、数日はザルツブルク散策に明け暮れたが、それももう御仕舞ひ。一人部屋に籠つて勉強と執筆生活の中で、音楽祭後半を送る事になる。昨日の飯は早速緑のタヌキ初登場(笑)。
夜は、チョン・ミュンフン指揮ドレスデン州立管弦楽団のフォーレ〈レクイエム〉とサン=サーンスの交響曲〈オルガン付〉だつた。
正直なところ、余りに精彩のない指揮に驚いた。成熟とは言へず、枯れたといふのとも違ふだらう。チョンの指揮は10年近く聞いてゐない。元気一杯だつた時の彼の指揮は演歌のやうな濃厚な歌ひまはしとイタリアオペラ調の歯切れのいい合奏で、私には馴染めない指揮だつたから敬遠してゐたのだが、今日こんな彼を聴くとは予想してゐなかつた。濃厚な歌に民族性が出るのは悪い事ではなく、単に私の好みに合はないだけだつたが、それでもとにかく言ひたい事のはつきりした勢ひのある指揮者だつた筈である。
フォーレは元々お通夜のやうな曲だから美しい指揮ぶりと言つてもいい出来だつたが、〈オルガン付〉に至つては、オケに任せて流してゐるだけのやうな演奏だ。かういふ曲で隈取や句読点を強調し、歌とクライマックスを押し付けがましい位展開して聴かせるのが彼の指揮ではなかつたか。全く拍子抜けのやうにコンサートが終了した。
…。さて、今日は同じシュターツカペレ・ドレスデンで、ウェルザー・メスト指揮のマーラーの第9。ノーブルな指揮ぶりになるだらうが、それを超えた食ひ込みがある事を期待したい。それまでは、湖南、ワルキューレの台本熟読、近著の為の資料読込み。先ほど、妻から羽田に着いた旨連絡があつたが、上空で異常電波を感知し着陸を一度見合はせるハプニングがあつたとの事だ。